相殺の禁止(509条〜510条・505条2項)そうさいのきんし
相殺の禁止とは、相殺適状にあっても相殺が許されない場合のことで、悪意による不法行為や人の生命・身体の侵害による損害賠償債務を受働債権とする相殺(509条)、差押禁止債権を受働債権とする相殺(510条)、当事者が禁止・制限した相殺(505条2項)などがあります。
お金を貸している相手が返してくれないので、腹いせに殴ってけがをさせ、治療費は貸金と差し引きにすると言ったらどうでしょう。被害者は治療費を現実に受け取れず、仕返しのような加害も起こりやすくなります。そこで民法は、悪意で不法行為をした者や、人の生命・身体を害した者が、自分の負う損害賠償債務を相殺で消すことを禁じています。ほかにも、差押えが禁じられた債権を受働債権とする相殺や、当事者が特約で禁じた相殺などが制限されます。

現行509条は、悪意による不法行為の損害賠償債務と人の生命又は身体の侵害による損害賠償債務を受働債権とする相殺だけを禁じています
509条は、悪意による不法行為に基づく損害賠償の債務(1号)と、人の生命又は身体の侵害による損害賠償の債務(2号)について、その債務者は相殺をもって債権者に対抗することができないと定めています。1号は報復的な加害の誘発を防ぐ趣旨で、悪意とは単なる故意ではなく積極的に相手を害する意図をいいます。2号は被害者に治療費などを現実に得させる趣旨で、故意・過失を問わず、債務不履行による場合も含みます。過失による物損の損害賠償債務はどちらにも当たらないので、加害者はこれを受働債権として相殺できます。債務者を負傷させた者が、自分の金銭債権を自働債権として被害者の損害賠償債権と相殺することは2号で禁じられます。債務不履行による人身損害について、「債務不履行に基づく損害賠償請求権を受働債権とする相殺は,その損害賠償請求権が人の生命又は身体の侵害によるものであっても,することができる」という肢(R3 問17 イ)は誤りです。
不法行為債権を受働債権とする相殺を一律に禁じていた旧規定の肢は、現行法では結論が変わることがあります
平成29年改正前の509条は、不法行為によって生じた債権を受働債権とする相殺を一律に禁じていたので、判例は、双方の過失による車両同士の事故で物損だけが生じた場合も、相殺は許されないとしていました(最判昭和49年6月28日)。現在は、物損同士の損害賠償債権はどちらの側からも相殺でき、受働債権が不法行為債権であるというだけで相殺の抗弁が失当になることもありません。両方の債権がともに不法行為債権であることは相殺の可否を左右せず、受働債権が悪意の不法行為や人身損害によるものなら相殺できません。

509条は受働債権の側の禁止なので、被害者が損害賠償債権を自働債権として相殺することはできます
509条が禁じるのは加害者が自分の損害賠償債務を消すための相殺であって、被害者が自ら損害賠償債権を使って相殺するのは、被害者が現実の給付を受ける利益を自分で放棄するだけなので許されます(最判昭和42年11月30日)。傷害を受けた被害者も、損害賠償債権を自働債権として加害者の貸金債権と相殺できます。
禁止される損害賠償債権でも、債権者が他人から譲り受けたものなら、債務者は相殺できます
509条ただし書は、その債権者がその債務に係る債権を他人から譲り受けたときは、相殺の禁止は及ばないとしています。被害者から債権を譲り受けた者は、被害者本人ではないので現実の給付を受けさせる必要がなく、加害者が譲受人に対して報復のために加害したわけでもないからです。悪意の不法行為による損害賠償債権や身体の侵害による損害賠償債権が第三者に譲渡されれば、加害者は譲受人に対する債権で相殺できます。
差押禁止債権を受働債権とする相殺、当事者が禁じた相殺、債権の性質が許さない相殺も制限されます
510条は、債権が差押えを禁じたものであるときは、その債務者は相殺をもって債権者に対抗することができないと定めています。給料債権の一部のように生活に必要な債権を現実に受け取らせるためです。「債権が差押えを禁じたものである場合には、その債務者は、相殺をもって債権者に対抗することができない」という肢(R8 問16 オ)は正しいです。505条2項は、当事者が相殺を禁止し、又は制限する旨の意思表示をした場合には、第三者がこれを知り、又は重大な過失によって知らなかったときに限り、その第三者に対抗できると定めています。債務の性質が相殺を許さないときも相殺できません(505条1項ただし書)。受任者が委任事務の処理のために負担した債務を代わりに弁済するよう委任者に求める権利(650条2項)は、受任者自身への支払を求めるものではないので、委任者はこれを受働債権として相殺できず(最判昭和47年12月22日)、「受任者が委任者に対して自己に代わってその弁済をすることを請求したときは、委任者は、受任者に対して他の売買契約に基づき代金支払債権を有していても、受任者による当該請求に係る権利を受働債権とし、受任者に対する当該代金支払債権を自働債権として、相殺することができない」という肢(R5 問19 ウ)は正しいです。組合員の債権者は組合財産について権利を行使できない(677条)ので、組合の債務者は組合に対する債務と組合員に対する債権を相殺できません。
民法 第509条(不法行為等により生じた債権を受働債権とする相殺の禁止)
次に掲げる債務の債務者は、相殺をもって債権者に対抗することができない。ただし、その債権者がその債務に係る債権を他人から譲り受けたときは、この限りでない。
一 悪意による不法行為に基づく損害賠償の債務
二 人の生命又は身体の侵害による損害賠償の債務(前号に掲げるものを除く。)
民法 第510条(差押禁止債権を受働債権とする相殺の禁止)
債権が差押えを禁じたものであるときは、その債務者は、相殺をもって債権者に対抗することができない。
民法 第505条(相殺の要件等)
二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる。ただし、債務の性質がこれを許さないときは、この限りでない。
前項の規定にかかわらず、当事者が相殺を禁止し、又は制限する旨の意思表示をした場合には、その意思表示は、第三者がこれを知り、又は重大な過失によって知らなかったときに限り、その第三者に対抗することができる。
試験ではこう問われる
- 人の生命又は身体の侵害による損害賠償債務は、債務不履行によるものでも受働債権にできない(509条2号。R3 問17 イ ×)
- 差押禁止債権の債務者は、相殺をもって債権者に対抗できない(510条。R8 問16 オ ○)
- 受任者の代弁済請求権を受働債権として、委任者が相殺することはできない(650条2項・最判昭和47年12月22日。R5 問19 ウ ○)
- 509条が禁じるのは悪意の不法行為と人身損害の損害賠償債務を受働債権とする相殺だけで、過失による物損なら加害者からも相殺できる
- 被害者が損害賠償債権を自働債権として相殺するのは許される(最判昭和42年11月30日)
- 債権者が他人から譲り受けた損害賠償債権なら、債務者は相殺できる(509条ただし書)
- 相殺禁止・制限の特約は、悪意又は重過失の第三者にだけ対抗できる(505条2項)

