制度的保障の理論せいどてきほしょうのりろん
制度的保障の理論とは、憲法が個人の権利とは別に一定の制度そのものを客観的な法として保障し、法律によってもその核心的部分を侵すことができないとする理論です。政教分離、私有財産制、大学の自治、地方自治がその例で、人権そのものの保障とは区別されます。
市が神社の行事に公金を出したとき、住民の一人が自分の信教の自由を侵されたと訴えても、直接には認められにくいことがあります。政教分離は、国と宗教を切り離すという仕組みそのものを憲法が守っているのであって、個人に請求権を与える規定ではないからです。憲法は、信教の自由のような人権のほかに、私有財産制や大学の自治、地方自治のような制度も守っています。制度を守るのは、法律で制度の中身を骨抜きにされると、その制度に支えられた人権も守れなくなるからです。

制度的保障は、制度の核心を立法による侵食から守ります
制度的保障とは、憲法が個人の権利とは別に一定の制度そのものを客観的な法として保障し、法律によってもその核心的部分を侵すことができないとする理論です。制度を立法による侵食から守るという点に意味があり、その制度があるからといって、個人がその制度に基づく権利を直接主張できるわけではありません。人権の保障とは向きが違うことを押さえます。制度的保障の例として挙げられるのは、次の四つです。
- 政教分離(20条・89条)国家と宗教の分離という制度を保障するもので、信教の自由を確保するための手段とされる
- 財産権(29条1項)私有財産制という制度と、個々の財産権の両方を保障する
- 大学の自治(23条)学問の自由を実効的に保障するために、大学の自律性という制度を保障する
- 地方自治(92条)地方自治の本旨の核心的部分を、法律をもっても侵せないものとして保障する
財産権では、制度の保障と個々の権利の保障が重なります
最大判昭和62年4月22日(森林法共有林事件)が述べるとおり、同項は私有財産制度を保障しているのみでなく、社会的経済的活動の基礎をなす国民の個々の財産権につきこれを基本的人権として保障しています。「憲法第29条は、社会的経済的活動の基礎をなす国民の個々の財産権を基本的人権として保障するのみでなく、私有財産制度をも保障する規定である」という肢(R8 問2 イ)は正しいです。二つの保障が重なっている点が29条の特徴です。財産権の不可侵を宣言しただけの規定と読むと、2項で内容を法律に委ねている以上、侵してはならない中身まで法律次第になり、1項を置いた意味がなくなってしまうからです。同判決は、財産権はそれ自体に内在する制約があるほか、立法府が社会全体の利益を図るために加える規制により制約を受けるともしています。個々の財産権としては、入会権のような慣習に基づく伝統的な権利も憲法上の財産権に含まれます。財産的価値を有する権利であれば、発生の根拠が制定法か慣習かで憲法上の保護が変わらないからです。制度としての私有財産制が保障されている以上、生産手段の私有を全面的に否定する立法は、個々の財産権の制約の問題を超えて許されないことになります。

政教分離は、信教の自由を確保するための手段です
最大判昭和52年7月13日(津地鎮祭事件)によれば、日本国憲法が政教分離規定を設けたのは、戦前の信教の自由の保障が不完全なものであったことや、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているという我が国の事情を考慮して、信教の自由の確実な保障のためには国家と宗教との結び付きを排除する必要があると考えられたためです。政教分離自体が個人の権利を保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより間接的に信教の自由という人権を確保する制度である、という位置付けがここから出てきます。政教分離原則を厳格に貫き、社会生活の各方面に不都合な事態が生じてもやむを得ないとするのは、判例の立場ではありません。宗教は多方面にわたる社会事象としての側面を伴うので、国家が教育や福祉、文化に関する施策を行えば宗教とのかかわり合いは避けられず、完全な分離を貫くとかえって社会生活の各方面に不合理な事態を生じます。判例は完全な分離が不可能であることを前提に、かかわり合いが相当とされる限度を超えるかどうかを、行為の目的と効果から判断します。
大学の自治は、学問の自由を制度として保障するものです
大学における研究と教育は、大学が国家権力等による干渉を排し、組織体としての自律性を保障されることなしには全うすることが不可能ですから、学問の自由と不可分のものとして大学の自治も保障されます。最大判昭和38年5月22日(東大ポポロ事件)は、大学における学問の自由を保障するために伝統的に大学の自治が認められているとし、その内容は、教授その他の研究者の人事の自治と、施設と学生の管理の自治であるとしました。同判決は、学生の集会が真に学問的な研究又はその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動に当たる行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないともしています。「大学における学生の集会は、真に学問的な研究又はその結果の発表のためのものではなく、実社会の政治的社会的活動に当たる行為をする場合であっても、大学の有する特別の学問の自由と自治を享有し、当該集会に警察官が立ち入ることは大学の学問の自由と自治を侵害する」という肢(R6 問2 オ)は誤りです。教授の任免や施設の管理が研究教育の内容に直接関係しないからといって、大学の自治が及ばないことにはなりません。誰を研究教育の担い手にするかを大学が決めてこそ、人事を通じた外部からの干渉を排除できるのであって、人事と施設管理こそ自治の中核です。学長人事も大学の自治と無関係ではありません。

地方自治の本旨の核心は、法律でも侵せません
92条は地方自治の組織及び運営に関する事項を法律で定めるとしますが、その法律は地方自治の本旨に基づかなければなりません。制度的保障の理論からは、住民自治と団体自治という地方自治の本旨の核心的部分は、法律をもってしても侵すことができないことになります。最判平成25年3月21日は、地方公共団体は地方自治の本旨に従いその財産を管理し事務を処理し及び行政を執行する権能を有し、その遂行のためには財源を自ら調達する権能を有することが必要ですから、地方自治の不可欠の要素として、国とは別途に課税権の主体となることが憲法上予定されているとしました。条例による課税が認められるのも、この筋道からです。「地方公共団体が条例により税目や税率を定めることは、憲法上予定されていない」という肢(R5 問3 オ)は誤りです。

制度的保障は人権そのものの保障ではなく、理論への批判もあります
制度的保障は、制度の核心を立法から守るものであって、個人に具体的な請求権を与えるものではありません。政教分離違反を理由に個人が直接に救済を求めることが難しいのも、この性質によります。「憲法第20条第3項の政教分離規定は,いわゆる制度的保障の規定であって,私人に対して信教の自由そのものを直接保障するものではないから,この規定に違反する国又はその機関の宗教的活動も,それが同条第1項前段に違反して私人の信教の自由を制限し,あるいは同条第2項に違反して私人に対し宗教上の行為等への参加を強制するなど,憲法が保障している信教の自由を直接侵害するに至らない限り,私人に対する関係で当然には違法と評価されるものではない」という肢(R3 問1 ウ)は正しいです。実際の訴訟では、住民訴訟のような客観訴訟の仕組みを使うか、信教の自由の侵害という人権の問題に組み替える必要があります。市有地が神社の敷地となっている状態を解消するために、町内会組織に当該土地を無償譲渡することが89条に違反しないとされるのも、制度の維持という観点から判断されているからです。理論そのものに対しては、制度の核心と周辺を区別する基準が明確でなく、核心以外の部分では立法による制約が広く許されることになって、かえって人権の保障を弱めるおそれがある、という批判が向けられます。もともとワイマール憲法下で、法律の留保に服する権利を立法から守るために考え出された理論であり、人権が憲法上直接に保障されている日本国憲法の下でそのまま用いる必要があるのか、という指摘です。制度的保障という言葉を使うこと自体が結論を決めるわけではなく、その制度がなぜ憲法上保障されるのかという趣旨に立ち返って論じることが大切です。
日本国憲法 第29条第1項財産権は、これを侵してはならない。
試験ではこう問われる
- 政教分離規定は制度的保障の規定であり、私人に信教の自由そのものを直接保障するものではない(R3 問1 ウ ○)
- 29条は個々の財産権を基本的人権として保障するとともに、私有財産制度も保障する(最大判昭和62年4月22日。R8 問2 イ ○)
- 政教分離は国家と宗教の完全な分離を前提とせず、かかわり合いが相当とされる限度を超えるかを目的と効果から判断する(最大判昭和52年7月13日)
- 実社会の政治的社会的活動に当たる学生の集会は、大学の有する特別の学問の自由と自治を享有しない(最大判昭和38年5月22日。R6 問2 オ ×)
- 地方公共団体は国とは別途に課税権の主体となることが憲法上予定されている(最判平成25年3月21日。R5 問3 オ ×)

