信教の自由の内容と限界しんきょうのじゆうのないようとげんかい
信教の自由の内容とは、憲法20条1項が保障する信仰の自由、宗教的行為の自由、宗教的結社の自由の三つです。その限界とは、内心の信仰は絶対的に保障される一方で、外部に現れる宗教的行為は他者の生命や身体などとの関係で必要な制約を受けることです。
公立高校の体育で剣道が必修になっているとき、信仰上の理由で竹刀を持てない生徒がいます。信じることは心の中の問題ですから、国が立ち入ることはできません。けれども信仰に基づいて行動したり、行動を拒んだりすると、他の人の生命や身体、学校の公平な運営とぶつかることがあります。憲法20条1項は信教の自由を保障しながら、外に現れる行為については他者の利益との調整を認めています。判例は、信仰そのものと外部的な行為とを分け、後者について必要な制約かどうかを見ています。

信教の自由は信仰、宗教的行為、宗教的結社の三つを内容とし、法人格の取得までは含みません
信教の自由は、信仰の自由、宗教的行為の自由、宗教的結社の自由の三つを内容とします(憲法20条1項前段)。内心の信仰は思想・良心の自由と同じく絶対的に保障されますが、外部に現れる宗教的行為は他者の生命や身体、社会秩序と衝突し得るため、必要な制約に服します。宗教団体を作り、加入し、活動する自由は、21条1項の結社の自由だけでなく、20条1項の信教の自由として保障されます。宗教は教団や信者の共同の営みを伴うため、団体の結成と活動を守らなければ個々人の信仰も実効的に確保できないからです。他方で、宗教法人法による法人格の取得は国家が与える便益であり、憲法上の自由に当然に含まれるものではありません。この区別は、解散命令の合憲性を論ずるときの出発点になります。
- 信仰の自由信仰を持ち、持たず、変える自由。信仰の告白を強制されない自由を含む
- 宗教的行為の自由礼拝・儀式・布教を行う自由と、宗教上の行為に参加を強制されない自由(20条2項)
- 宗教的結社の自由宗教団体を結成し加入する自由。法人格の取得までは当然には含まない
宗教的行為でも、他人の生命身体に危害を及ぼせば保障の限界を超えます
最大判昭和38年5月15日(加持祈祷事件)は、線香の火や縛り付けによって精神障害者を死亡させた行為について、宗教行為としてなされたものであっても、他人の生命身体に危害を及ぼす違法な有形力の行使は著しく反社会的であり、保障の限界を逸脱するとしました。目的に宗教的意義があれば処罰を免れるわけではありません。もっとも、犯人の説得と自首の勧めを続けた牧師の行為について、神戸簡判昭和50年2月20日(牧会活動事件)は、正当な業務行為として違法性を阻却しました。宗教的動機は、構成要件該当性を消すのではなく、違法性阻却の判断のなかで評価されます。

解散命令は世俗的側面を対象とするため、信教の自由を侵害しません
最決平成8年1月30日(宗教法人オウム真理教解散命令事件)は、解散命令の制度が専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、専ら世俗的目的によるものであって、精神的、宗教的側面に容かいする意図によるものではないとしました。「法令に違反して,著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした宗教法人に対し,裁判所が解散を命ずることは,司法手続によって宗教法人を強制的に解散し,その法人格を失わしめ,信者の宗教上の行為を法的に制約するものとして,信教の自由を保障する憲法第20条第1項に違背する」という肢(R3 問1 ア)は誤りです。解散しても信者は法人格のない宗教団体を存続させ、宗教上の行為を行うことを妨げられないからです。そのうえで、信者が宗教上の行為を継続する上で支障が生じても、その支障は間接的で事実上のものにとどまるとしています。判旨は、支障が生じること自体は認めています。手続が裁判所の司法審査によることも、正当化の一要素とされました。
信仰を理由とする義務免除は、代替措置の有無を総合して判断されます
最判平成8年3月8日(剣道実技拒否事件)は、信仰上の理由で剣道実技を拒んだ学生に対する原級留置と退学の処分について、退学が最も重大な処分であること、代替措置を採ることが実際上不可能ではなかったことなどを挙げ、社会通念上著しく妥当を欠き裁量権の範囲を超えるとしました。ここで重要なのは、判例が信教の自由を理由に直接義務を免除したのではなく、処分の裁量審査という形で救った点です。他の体育実技の履修やレポートの提出を求めてその成果に応じた評価をすることは、目的において宗教的意義をもたず、特定の宗教を援助、助長、促進する効果もないため、代替措置を採ること自体が20条3項に違反することはないとされました。また判例は、学生の信仰を調査せん索して宗教を序列化することは許されないとしつつ、単なる怠学の口実か、信条と履修拒否との合理的関連性があるかを確認する程度の調査は公教育の宗教的中立性に反しないとしています。「公立学校において,学生の信仰を調査詮索し,宗教を序列化して別段の取扱いをすることは許されないが,学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に,学校が,その理由の当否を判断するため,単なる怠学のための口実であるか,当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることは,公教育の宗教的中立性に反するとはいえない」という肢(R3 問1 イ)は正しいです。日曜日の教会学校を理由とする欠席の扱いが争われた東京地判昭和61年3月20日(日曜日授業参観事件)では、義務免除を認めれば公教育の宗教的中立性が損なわれるとして請求が退けられています。

信仰に基づく治療拒否は、自己決定の問題として尊重されます
最判平成12年2月29日(エホバの証人輸血拒否事件)は、輸血を伴う医療行為を拒否する明確な意思を有している患者について、その意思決定をする権利は人格権の一内容として尊重されなければならないとし、説明を怠って輸血した医師の責任を認めました。医師は、輸血以外に救命手段がない事態になれば輸血する方針を採っていることを患者に説明し、手術を受けるかどうかを患者の意思決定にゆだねるべきだとされました。判決は20条ではなく人格権の枠組みで処理しており、信仰が動機であっても法律構成は自己決定権である点に注意が要ります。また、他者の信仰に基づく行為に対する寛容が求められることも、判例が繰り返し述べているところです。

宗教上の行為への参加強制は、宗教的活動に当たらなくても禁じられます
20条2項は、何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されないと定めます。これは20条3項が国に禁ずる「宗教的活動」とは範囲が異なり、3項の宗教的活動に当たらない行事であっても、国やその機関が参加を強制すれば2項違反になります。2項は個人の側の自由を守る規定、3項は国家の側の行為を縛る規定であり、目的も対象も範囲も異なります。
最大判昭和38年5月15日(加持祈祷事件)信教の自由の保障は絶対無制限のものではなく、他人の生命、身体等に危害を及ぼす違法な有形力の行使に当たる行為は、著しく反社会的なものであることが明らかであって、憲法20条1項の信教の自由の保障の限界を逸脱したものというほかはない。
最決平成8年1月30日(宗教法人オウム真理教解散命令事件)解散命令によって宗教団体であるオウム真理教やその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることが避けられないとしても、その支障は、解散命令に伴う間接的で事実上のものであるにとどまる。
試験ではこう問われる
- 信教の自由は、信仰の自由、宗教的行為の自由、宗教的結社の自由を内容とし、宗教法人として法人格を取得することまでは含まない
- 他人の生命身体に危害を及ぼす違法な有形力の行使は、宗教行為としてされても信教の自由の保障の限界を逸脱する(最大判昭和38年5月15日)
- 宗教法人の解散命令は専ら世俗的側面を対象とし、信者の宗教上の行為への支障は間接的で事実上のものにとどまる(最決平成8年1月30日。R3 問1 ア ×)
- 剣道実技を拒否した学生への原級留置・退学処分は、代替措置を検討しなかったことなどから裁量権の範囲を超え違法とされた(最判平成8年3月8日)
- 学校が信条と履修拒否との合理的関連性を確認する程度の調査をすることは、公教育の宗教的中立性に反しない(最判平成8年3月8日。R3 問1 イ ○)
- 20条3項の宗教的活動に当たらない宗教上の行為でも、国が参加を強制すれば20条2項に違反する

