自由心証主義(弁論の全趣旨・証拠共通・証拠能力)じゆうしんしょうしゅぎ
自由心証主義とは、裁判所が判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨と証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する原則です(247条)。証拠として使えるものを原則として制限せず(証拠能力の無制限)、どの経験則で何を推認するかも裁判官に委ねる点で、証拠の種類や証明力を法律で決める法定証拠主義と対立します。
昔は「証人が二人そろえば真実と認める」のように、証拠の価値を法律で決める考え方がありました。しかし社会が複雑になると、そうした決まりではかえって真実から遠ざかります。そこで民事訴訟法は、どの証拠をどれだけ信用し、どんな経験則で何を推認するかを裁判官の判断に委ねました。そのかわり、判断は経験則と論理に従った合理的なものでなければならず、常識外れの認定は違法とされます。

裁判所は、口頭弁論の全趣旨と証拠調べの結果を自由な心証で評価して、事実を認定します
247条は、裁判所が判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨と証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断すると定めています。これを自由心証主義といいます。その内容は、証拠として使えるものを原則として制限しないこと(証拠方法の無制限)、証拠の信用性の評価や事実から事実への推認をどの経験則で行うかを裁判官に委ねること(経験則の取捨選択の自由)、証拠調べの結果だけでなく弁論の全趣旨もしん酌できることの三つに分けて説明されます。例外として、口頭弁論の方式の遵守は調書によってのみ証明でき(160条4項)、手形訴訟の証拠調べは書証に限られる(352条1項)など、条文で証拠方法を制限した場面があります。
- 証拠方法の無制限どんな証拠でも原則として証拠能力があります。例外は調書による方式の証明(160条4項)、手形訴訟の書証限定(352条1項)などの明文の場合です
- 経験則の取捨選択の自由証拠の信用性の評価と、間接事実から主要事実への推認を、裁判官が経験則に従って自由に行います
- 弁論の全趣旨のしん酌当事者の主張の内容や態度、攻撃防御方法を出した時期など、口頭弁論に現れた一切の事情を認定の資料にできます
弁論の全趣旨だけで事実を認定することも、証拠調べの結果より弁論の全趣旨を重く見ることも許されます
弁論の全趣旨とは、口頭弁論に現れた一切の資料や状況から証拠調べの結果を除いたもので、当事者の陳述の内容や態度、するのが自然な主張や証拠の申出をしなかったこと、釈明に応じなかったことなどを含みます。247条は弁論の全趣旨と証拠調べの結果を並べて定めており、両者に優劣はありません。最判昭和27年10月21日は、相手方が「不知」と答えた文書について、特段の立証がなくても裁判所が弁論の全趣旨によりその成立の真正を認めることができるとしました。弁論の全趣旨だけで事実を認定することも、証拠調べの結果より弁論の全趣旨を重く見ることも許されます。ただし、弁論の全趣旨としてしん酌できるのは適法に口頭弁論に現れたものに限られます。証拠申出が不適法として却下された文書は、適法に弁論に顕出された資料とはいえず、その記載内容は弁論の全趣旨として判決の基礎になりません。
一方の当事者が出した証拠は、相手方が援用しなくても相手方に有利な認定に使え、この理は共同訴訟人の間にも及びます
証拠調べの結果は、その証拠をどちらの当事者が申し出たかにかかわらず、どちらの当事者のためにも事実認定の資料になります。これを証拠共通の原則といい、同じ事実についての裁判官の心証は一つしかありえないという自由心証主義から導かれます。弁論主義の第3テーゼが当事者に委ねているのは証拠を提出することまでで、提出された証拠をどう評価するかは自由心証の問題だからです。最判昭和28年5月14日はこの原則を認めており、一方の当事者が出した証拠は、相手方が援用しなくても相手方に有利な事実の認定に使えます。最判昭和45年1月23日は、共同訴訟人の一人が提出した証拠は、他の共同訴訟人とその相手方との関係でも認定の資料にできるとしました。「通常共同訴訟においては、共同被告の一人が提出した証拠につき、他の共同被告がこれを援用しない限り、その者に対する請求との関係では、事実認定の資料とすることはできない」という肢(R5 午後 問2 イ)は誤りです。主債務者が出した証拠で弁済が認められるなら、保証人が証拠を出さなくても保証人との関係で弁済を認定できます。同時審判の申出がされた共同訴訟でも、賃借人と転借人を共同被告とする訴訟でも同じです。

証拠についての当事者の合意は、弁論主義の範囲内なら有効ですが、裁判官の心証を縛る合意は効力を持ちません
証拠共通の原則があるため、証拠調べが始まった後の証拠申出の撤回は制限されます(証拠の申出と採否の語で扱います)。また、当事者間で証拠について合意することは、弁論主義の範囲内であれば有効ですが、自由心証を縛る合意は効力を持ちません。特定の者を証人として申請しない合意は当事者が証拠を出すかどうかの問題なので裁判所を拘束しますが、尋問が終わった後にその結果を排除する合意は、すでに形成された心証を縛るものなので裁判所を拘束しません。
民事訴訟では証拠能力は原則として制限されず、反対尋問を経ない供述も訴え提起後に作られた文書も証拠にできます
刑事訴訟と異なり、民事訴訟には伝聞証拠を排除するような規定がなく、証拠能力は原則として制限されません。最判昭和32年2月8日は、病床で行われた当事者本人の尋問が立会医師の勧告で主尋問の途中で打ち切られ、相手方に反対尋問の機会がなかった事案で、やむを得ない事由によって反対尋問ができなかった場合には、そのことだけで尋問の結果を事実認定の資料にできないと解すべきではなく、合理的な自由心証によりその証拠力を決し得るとしました。最判昭和24年2月1日は、訴訟提起後に当事者自身が係争事実について作成した文書も、それだけで当然に証拠能力を欠くものではないとしました。別件訴訟の証人尋問調書の写しも書証として提出でき、反対尋問の機会がないことは証拠力の評価で考慮されるにとどまります。違法に収集された証拠については明文がなく、議論があります。東京高判平成28年5月19日は、大学の委員会の審議を無断で録音した記録媒体について、民事訴訟における公正性の要請と当事者の信義誠実義務に照らし、証拠の収集の方法と態様、違法な収集によって侵害される権利利益の要保護性、証拠の重要性などを総合考慮して、その採用が訴訟上の信義則に反するといえる場合には例外的に証拠能力が否定されるとし、この事案では提出を許さないとしました。無断録音であるというだけで直ちに証拠能力が否定されるわけではなく、総合考慮の結果として否定されるかが決まる点に注意が必要です。
自由心証主義は職権探知主義の訴訟にも適用され、著しい経験則違反の認定は上告審で争うことができます
弁論主義か職権探知主義かは、判決の基礎となる資料を誰が集めるかの問題です。自由心証主義は、集まった資料をどう評価するかの問題なので、人事訴訟のように職権探知主義がとられる訴訟にも同じく適用されます。また、経験則の取捨選択は自由心証に委ねられ、事実審の認定は原則として上告審を拘束しますが、高度の蓋然性のある経験則に反するような常識外れの認定は、自由心証主義(247条)に反する法令違反になります。高等裁判所への上告では判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反として上告理由になり(312条3項)、最高裁判所に対しては上告受理の申立て(318条1項)で争います。
民事訴訟法 第247条(自由心証主義)
裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する。
最判昭和32年2月8日やむを得ない事由によって反対訊問ができなかつた場合には、単に反対訊問の機会がなかつたというだけの理由で、右本人訊問の結果を事実認定の資料とすることができないと解すべきではなく、結局、合理的な自由心証によりその証拠力を決し得ると解するのが相当である。
試験ではこう問われる
- 通常共同訴訟でも、共同被告の一人が出した証拠は、他の共同被告の援用がなくてもその者に対する請求で事実認定に使える(最判昭和45年1月23日。R5 午後 問2 イ ×)
- 一方の当事者が出した証拠は、相手方が援用しなくても相手方に有利な認定に使える(最判昭和28年5月14日)
- 損害の性質上その額の立証が極めて困難なときは、口頭弁論の全趣旨と証拠調べの結果に基づき相当な損害額を認定できる(248条。R2 午後 問2 エ ○)
- 弁論の全趣旨だけで事実を認定することも、証拠調べの結果より弁論の全趣旨を重視することも許される(247条)
- 反対尋問を経ていない供述も、訴え提起後に当事者が作成した文書も、証拠能力を欠くわけではない(最判昭和32年2月8日、最判昭和24年2月1日)
- 自由心証主義は職権探知主義の訴訟にも適用される
- 高度の蓋然性のある経験則に反する認定は法令違反となり、上告審で争える

