思想・良心の自由しそう・りょうしんのじゆう
思想・良心の自由とは、内心におけるものの見方や考え方を国家が侵してはならないという憲法19条の自由です。内心にとどまる限り制約は許されず、内心の告白を強制されない自由も含みます。
公立学校の卒業式で、校長が教員に国歌斉唱の際の起立を命じたとします。歴史観からどうしても起立したくない教員にとって、この命令が心の中の考えを曲げさせるものなのか、儀式の所作を求めているだけなのかが問題になります。憲法19条は、頭の中で何を考えるかを国家が侵してはならないと定めます。心の中は外から見えず、国家が立ち入る余地がないので、内心にとどまる限り制約は許されません。争いになるのは、外部的な行為を強制する場面や、内心を推知させる情報を扱う場面で、それが内心そのものへの侵害といえるかどうかです。

内心にとどまる限り保障は絶対で、告白を強制されない自由も含まれます
思想・良心の自由は、内心におけるものの見方、考え方を国家が侵してはならないという自由です(憲法19条)。信教の自由や表現の自由の母体にあたる自由で、内心にとどまる限り公共の福祉による制約も受けません。内心は外部に表明されない限り誰も知り得ないので、国家が立ち入る余地がないからです。ここから、内心の告白を強制されない自由が導かれます。江戸時代の踏絵のように、信仰しているかどうかを言わせる行為がその典型です。もっとも、自己に不利益な供述を強要されないことは38条1項が別に定めており、内心の自由の問題と刑事手続上の供述拒否の問題は場面が違います。保障の対象をどこまで広げるかについては、人格形成に関わる内心に限る立場と、是非弁別を含む内心一般に及ぶとする立場があり、後者によれば単なる事実の知不知まで含まれかねないという批判があります。実務では、どちらの立場でも結論が変わる場面は多くなく、外部的行為の強制をどう評価するかに争点が移っています。判例はこの場面で、いきなり審査基準に進まず、まず制約があるかどうかを丁寧に切り分けます。制約を否定した判例なのか、制約を認めたうえで正当化した判例なのかを分けて読む必要があります。
- 信条説世界観・人生観など人格形成に関わる内心の活動に限って19条の保障が及ぶとする
- 内心説事物の是非弁別を含む内心一般に広く保障が及ぶとする
- 沈黙の自由内心を告白するよう強制されない自由。踏絵のように内心の表明を強いる行為が典型
- 不利益取扱いの禁止特定の思想を持つことを理由に不利益を課すことの禁止
謝罪広告の強制は、陳謝の意の表明にとどまる限り合憲です
名誉毀損の原状回復処分として謝罪広告を命ずる判決について、最大判昭和31年7月4日(良心の自由と謝罪広告の強制)は、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度のものであれば、代替執行によって強制しても人格を無視し良心の自由を不当に制限することにはならないとしました。「裁判所が,名誉毀損の加害者に対し,事態の真相を告白し陳謝の意を表明する内容の謝罪広告を新聞紙に掲載するよう命ずることは,加害者の意思決定の自由ないし良心の自由を不当に制限するものとして許されない」という肢(R3 問1 オ)は誤りです。注意すべきは、判例が制約を認めたうえで正当化したのではなく、そもそも良心の自由の制限に当たらないと構成した点です。良心の自由は是非弁別の判断を外部に表現するかしないかの自由まで含むから、心にもない陳謝を命ずるのは良心の自由の侵害だという考え方は、この判決の反対意見として述べられたものです。

内申書の記載は外部的行為の記載であり、思想信条を了知させるものではありません
最判昭和63年7月15日(麹町中学内申書事件)は、生徒が学内で機関紙を発行し政治集会に参加したなどの記載について、記載されたのは外部的行為であって、そこから思想、信条を了知し得るものではなく、思想、信条自体を入学者選抜の資料に供したものでもないとしました。ここでも判例は、制約の有無の段階で切っています。外部的行為の記載であればおよそ内心と無関係になるわけではなく、記載の仕方によっては思想の推知に直結し得ます。調査書という進学に直結する書面に政治活動の事実が書かれること自体が萎縮を生む、という評価もここから立てられます。
ピアノ伴奏の職務命令は、思想の表明と評価できないため制約に当たりません
入学式での国歌斉唱の伴奏を音楽専科の教諭に命じた事案で、最判平成19年2月27日は、伴奏行為は音楽専科の教諭にとって通常想定され期待されるものであり、外部から見て特定の思想の表明と評価することは困難だとして、職務命令は特定の思想を強制も禁止もしないとしました。伴奏を拒むことは歴史観に基づく一つの選択ではあっても、それと不可分に結び付くものではなく、教諭の歴史観それ自体を否定する命令ではない、という理由づけも示されています。

起立斉唱の職務命令は直接の制約ではなく、間接的な制約です
最判平成23年5月30日(「君が代」起立斉唱職務命令事件)は、起立斉唱行為を式典における慣例上の儀礼的な所作と位置づけ、歴史観や世界観それ自体を否定するものではないとしました。そのうえで、起立斉唱は国旗と国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為なので、敬意の表明には応じ難いと考える者にとっては、歴史観に由来する行動とは異なる外部的行動を求めることになるとし、間接的な制約となる面があると認めました。判例は、これを直接的な制約とはせず、間接的な制約となる面があるとしました。間接的な制約は、職務命令の目的と内容、制約の態様を総合して必要性と合理性が認められるかで判断され、判例は憲法19条に違反しないとしました。

私人による思想調査は、契約締結の自由との衡量で処理されます
国家ではなく企業が思想を調査した場合は、19条が直接適用されるのではなく、契約締結の自由との調整の問題になります。最大判昭和48年12月12日(三菱樹脂事件)は、憲法が22条、29条で経済活動の自由を保障している以上、企業には雇い入れの自由があり、特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもって雇い入れることを拒んでも当然には違法とならず、採否決定にあたって思想、信条を調査し申告を求めること自体も違法ではないとしました。「企業が,労働者の採否を決定するに当たり,労働者の思想,信条を調査し,労働者からこれに関連する事項についての申告を求めることは,労働者の思想,信条の自由を侵害する行為として直ちに違法となる」という肢(R3 問1 エ)は誤りです。判例は、団体加入や学生運動の事実が思想、信条とまったく無関係だとするのは相当でないと述べつつ、それでも申告を求めることを違法とはしていません。もっとも、雇用後に労働者の政党所属を調査した事案では、社会的に許容し得る限界を超えれば違法となる余地が認められています。

最判平成23年5月30日(「君が代」起立斉唱職務命令事件)上告人に本件辞令の交付を命じたのは、上告人の有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず、特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。
試験ではこう問われる
- 思想・良心の自由は内心にとどまる限り絶対的に保障され、内心の告白を強制されない自由を含む(19条)
- 単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる謝罪広告を命ずる判決は、良心の自由を不当に制限しない(最大判昭和31年7月4日。R3 問1 オ ×)
- 内申書に記載された外部的行為からは思想、信条を了知し得ず、思想、信条自体を入学者選抜の資料に供したものでもない(最判昭和63年7月15日)
- 国歌斉唱の際の起立斉唱を命ずる職務命令は、思想及び良心の自由の間接的な制約となる面があるが、必要性と合理性が認められ19条に違反しない(最判平成23年5月30日)
- 企業が採否の決定に当たり思想・信条を調査し申告を求めても、直ちに違法とはならない(最大判昭和48年12月12日。R3 問1 エ ×)

