憲法改正の限界と条約の違憲審査けんぽうかいせいのげんかい
憲法改正の限界とは、96条の手続を踏めば憲法のどの部分でも改正できるのかという問題で、改正権が憲法によって与えられた権限である以上基本原理を壊す改正はできないとする限界説と、改正権と憲法制定権力を同質とみて限界を否定する無限界説が対立します。条約の違憲審査とは、81条に列挙されていない条約が違憲審査の対象になるかという問題で、憲法優位説からも肯定説と否定説があります。
生徒会の規約を変える手続が規約自体に書かれていても、その手続で「生徒会は先生が運営する」と書き換えてよいかは別問題です。規約を作ったのは生徒であり、改正の権限は規約が生徒に与えたものだからです。憲法も同じで、96条の手続を踏めば国民主権や基本的人権の尊重まで変えられるのかが争われ、通説は改正権が憲法に与えられた権限にすぎないとして限界を認めます。条約が憲法に反するときに裁判所が審査できるかも、憲法の最高法規性をどこまで貫くかという同じ問いの現れです。

改正手続は、発議と国民投票の二段階で構成されます
96条1項は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議し、国民に提案してその承認を経ることを求めます。承認には、特別の国民投票または国会の定める選挙の際に行われる投票で、その過半数の賛成が必要です。承認を経たときは、天皇が国民の名で、この憲法と一体を成すものとして直ちに公布します(96条2項)。改正された部分も、他の部分と同じ最高法規としての効力をもちます。手続の重さが硬性憲法の性格を形づくっており、限界の議論もこの手続を前提に組み立てられます。手続の詳細は憲法改正手続で扱います。
- 限界説憲法改正権は憲法制定権力が憲法の中に組み込んだ制度化された権限であり、その基礎である国民主権・基本的人権の尊重・平和主義は改正できない
- 無限界説憲法制定権力と憲法改正権は同質であり、手続を踏めばどの条項も改正できる。憲法に限界を定めた明文がないことも根拠となる
限界の有無は、改正権と憲法制定権力の関係で決まります
二つの説の分かれ目は、改正権の性質をどう捉えるかにあります。憲法を始源的に創設する憲法制定権力と、憲法によって与えられた憲法改正権とを区別する考えは、改正に法的な限界があるとする見解の根拠になります。反対に、両者を同質と捉えれば限界を否定する根拠になります。二つの考えは、同じ対応関係を裏表から述べたものです。改正権をどう位置づけるかが、そのまま結論を決めます。

無限界説は、改正権と制憲権を同質とみます
制憲権が万能であることから直ちに無限界説が導かれるわけではありません。改正権を制度化された制憲権と理解するなら、それは憲法の枠内で与えられた権限ですから、限界があるという結論に向かいます。制度化されているという前提と、制憲権が万能だという前提は結びつきません。無限界説を支えるのは、改正権と制憲権を同質とみる理解のほうです。改正権の生みの親が制憲権である以上、改正権が自らの存立の基盤である国民主権を変更することは理論的に許されません。
国民投票制の廃止は、改正権の自己否定として許されません
限界説の実際の適用場面として、96条の手続規定自体を改正できるかという問題があります。国民投票制を国民の憲法制定権力の思想を具体化したものとみれば、これを廃止することは改正権の自己否定であり、憲法改正によっても許されないことになります。国民投票制は国民主権を憲法改正の場面で具体化したものですから、これを廃止することは、改正権を与えた国民の意思を改正権が否定することになります。発議要件を三分の二から過半数に緩和することについても、硬性憲法の性格を失わせる点で限界に触れるという議論があります。改正手続の規定は憲法の基本原理を守るための仕掛けでもあるため、他の条項より改正の余地が狭いと考えられています。もっとも、要件の緩和それ自体が基本原理を壊すとまではいえないとして、改正を認める見解もあります。

八月革命説は、限界説を前提に日本国憲法の制定を説明します
明治憲法73条の改正手続によって主権の所在を変えることは、限界説からは説明がつきません。そこで、ポツダム宣言の受諾によって主権が天皇から国民に移り、そこで法的な革命が起きたと説明するのが八月革命説です。八月革命説は、改正に限界があるという立場を採りつつ、日本国憲法の制定を正当化しようとするものです。限界説を貫きながら日本国憲法の効力を基礎づけるための理論であり、限界説と無限界説の対立が現実の問題と結びつく場面です。無限界説からは革命を持ち出す必要がなく、明治憲法73条の手続に従った以上は有効だと説明できますが、主権原理の転換を改正で行えるという結論を受け入れることになります。
条約の違憲審査は、憲法優位説を前提としても両論あります
憲法と条約の効力関係については、98条2項が条約の誠実遵守を定める一方、98条1項が憲法の最高法規性を定めています。通説は憲法優位説をとりますが、そこから条約の違憲審査が当然に認められるわけではありません。憲法優位説に立っても、条約を違憲審査の対象から除外する立場は採り得ます。条約が81条に列挙されていないこと、外国との合意という性質をもつことを理由に、審査の対象から除外する立場も成り立ちます。逆に、条約は国内では法律と同様に適用されるのだから、国内法的効力の面では審査を認めるべきだという立場も有力です。最大判昭和34年12月16日(砂川事件)は、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り審査の範囲外であるとしました。この判示は、条約が審査の対象になりうることを前提にしたうえで、高度の政治性を理由に行使の限界を画したものと読まれています。「条約は、国家間の合意であるという性質に照らし、裁判所による違憲審査権の対象とならない」という肢(R5 問2 ウ)は誤りです。審査権の有無の問題と、行使の限界の問題を分けて論じることが、この分野の出発点です。

日本国憲法 第96条第1項この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
試験ではこう問われる
- 憲法改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民の投票でその過半数の賛成を得て承認される(96条1項)
- 憲法制定権力と憲法改正権を区別すれば限界説、同質とみれば無限界説が導かれる
- 国民投票制を廃止することは、改正権の自己否定として許されないとする見解がある
- 八月革命説は、限界説を前提に日本国憲法の制定を説明する
- 条約も違憲審査の対象となり得るが、高度の政治性をもつ条約は一見極めて明白に違憲無効でない限り審査されない(最大判昭和34年12月16日・砂川事件。R5 問2 ウ ×)

