国民主権こくみんしゅけん
国民主権とは、国政の在り方を最終的に決定する力ないし権威が国民に存することをいいます(前文1項・1条)。主権という語は、統治権・国家権力の最高独立性・国政の最高決定権という三つの意味で使われ、国民主権の主権は最高決定権を指します。
選挙の日に投票所へ行くと、「この国のことを最後に決めるのは私たち」という言葉を実感します。憲法は前文1項で主権が国民に存することを宣言し、1条で天皇の地位も主権の存する国民の総意に基づくと定めます。ここでいう主権は、国の政治の在り方を最終的に決める力という意味です。同じ主権という語でも、ポツダム宣言では日本の統治が及ぶ範囲を指し、前文3項では他国に支配されない独立性を指します。誰が最後に決めるのかという問いと、国の力がどこまで及ぶのかという問いは別のものだから、同じ語でも意味を分けて読む必要があります。

引用された条文ごとに、主権の意味を選び分けます
前文1項は「主権が国民に存することを宣言し」と述べ、1条は天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基く」としています。ここでの主権は国政の最高決定権の意味ですが、同じ語が別の意味で使われる条文もあるため、引用された文言ごとに意味を見分ける必要があります。「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」というポツダム宣言8項の主権は、統治権が及ぶ範囲を指します。「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」という前文3項の主権は最高独立性であって、統治権ではありません。これに対し、前文1項の「ここに主権が国民に存することを宣言し」と1条の「主権の存する日本国民の総意に基く」は、いずれも最高決定権です。ポツダム宣言8項の主権と1条の主権は意味が異なります。
- 統治権立法権・行政権・司法権を包括する国家権力そのもの。ポツダム宣言8項の主権
- 国家権力の最高独立性対内的には最高、対外的には独立という国家権力の属性。前文3項の主権
- 国政の最高決定権国の政治の在り方を最終的に決定する力ないし権威。前文1項・1条の主権

正当性の契機と権力性の契機の二つで説明されます
国民主権には二つの側面があるとされます。国家権力の正統性の究極の根拠が国民にあるという側面を正当性の契機、国民自身が国政のあり方を実際に決定すべきだという側面を権力性の契機といいます。正当性の契機だけを強調する立場からは、国民主権の原理は国家権力の行使が全国民の名の下で行われるべきことを意味するにとどまり、国家の意思決定に国民の意思が的確に反映される仕組みを作ることまでは要請されないことになります。この立場は、議員が選挙区の有権者の意思に法的に拘束されない自由委任と結び付きます。権力性の契機を重く見る立場からは、選挙制度や直接民主制的制度の整備が要請されることになります。

主権の主体である「国民」は全国民という統一体と解されます
国民主権原理にいう国民とは、観念的抽象的に想定される全国民という統一体のことである、という捉え方があり、これは正当性の契機に対応します。この立場からは、議員は選挙区の有権者の代理人ではなく全国民の代表となり、命令的委任が否定されます。これに対し、主権の主体を現実の有権者団と捉える立場からは、直接民主制的制度が原則となり、代表は有権者の意思に拘束されるべきだという帰結が導かれます。なお、主権の保持者としての「日本国民」は10条の国籍を持つ国民より狭い概念と考えられていますが、天皇が国民に含まれるかには諸説があります。
統治権という意味の主権は国家に帰属すると説明されます
統治権という意味での主権は国家に属すると考える国家法人説は、君主主権と国民主権のどちらにも結び付き得る考え方です。国家という法人に主権が帰属するとしたうえで、その最高機関を君主とするか国民とするかは別問題だからです。明治憲法下では天皇機関説として国民の権利の拡張に働きましたが、理論そのものはどちらにも転びます。絶対王政の時代には、主権の全てが国王に集中していたため、国家の主権と国王の主権を区別することに意味がなく、両者は一体的に捉えられていました。なお、連邦国家では統治権の権能が連邦と州に分けて配分されますが、対外的独立性としての主権は連邦に帰属し、国際社会で主権国家として扱われるのは連邦です。
国民主権から直接民主制が当然に導かれるわけではありません
憲法は、前文1項で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と述べ、43条1項で両議院を全国民の代表で組織するとして、代表民主制を原則としています。国民が直接に決定する制度は、憲法改正の国民投票(96条1項)、最高裁判所裁判官の国民審査(79条2項)、一の地方公共団体のみに適用される特別法の住民投票(95条)に限られます。国政について法律で新たに拘束力のある国民投票を設けることには、43条1項や41条との関係で争いがあります。他方、地方では住民自治の要請が強く、条例による住民投票が広く行われてきました。国政と地方で結論が分かれるのは、この憲法上の位置付けの違いによります。

前文は憲法の一部ですが、裁判規範性は認められていません
前文は憲法の一部を成し、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義という三つの基本原理を明らかにしています。もっとも、前文を根拠に裁判所に救済を求めることができるという意味での裁判規範性は、判例上認められていません。前文の内容は抽象的で、具体的な権利義務を導くには本文の各条項を通す必要があると解されており、最高裁が前文を直接の根拠として救済を認めた例はありません。長沼事件で第一審(札幌地判昭和48年9月7日)は前文2項の平和的生存権の裁判規範性を認めましたが、控訴審(札幌高判昭和51年8月5日)はこれを否定し、最高裁(最判昭和57年9月9日)でも認められませんでした。
日本国憲法 第1条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
試験ではこう問われる
- 国民主権の主権は国政の最高決定権を指す(前文1項・1条)。ポツダム宣言8項の主権は統治権、前文3項の主権は最高独立性の意味で使われる
- 両議院は全国民を代表する選挙された議員で組織され、代表民主制が原則とされる(前文1項・43条1項)
- 国民が直接に決定する制度は、憲法改正の国民投票(96条1項)、最高裁判所裁判官の国民審査(79条2項)、地方特別法の住民投票(95条)である
- 最高裁判所裁判官の国民審査は、任命行為を完成させるか否かを審査するものではなく、実質的には解職の制度である(R6 問3 エ ○)
- 前文は憲法の一部だが、判例上その裁判規範性は認められていない

