知る権利とアクセス権しるけんりとあくせすけん
知る権利とは、表現の自由を受け手の側からとらえ直した権利で、妨げられずに情報を受け取る自由権の面と、情報の公開を求める請求権の面をもち、請求権の面は法律による具体化を必要とします。アクセス権とは、さらに進んでマス・メディアに紙面や電波の利用を求める権利で、判例はこれを憲法から直接導くことを認めていません。
新聞に自分を批判する意見広告が載ったので、同じ紙面に無料で反論文を載せてほしいと新聞社に頼んだとします。表現の自由は、情報を発信する側だけでなく受け取る側にも意味をもちます。受け手が情報を妨げられずに受領する自由は憲法21条1項から直接導かれますが、国や新聞社に情報や紙面を出せと求める請求権は、誰が何をどこまで出すかを決める法律がなければ動きません。反論文の掲載を強制すれば、新聞社は批判的な記事を載せることをためらい、かえって表現の自由が縮むからです。

知る権利は自由権と請求権の両面をもち、請求権の面は法律を要します
知る権利は、表現の自由を受け手の側からとらえ直した権利です。情報の受領を妨げられないという自由権の面と、国家に情報の公開を求める請求権の面があります。自由権の面は憲法21条1項から直接導かれ、公権力が情報の受領や閲読を妨げれば、その制限の目的と態様が審査されます。これに対し請求権の面は、行政の保有する情報の開示を求めるものですから、対象と手続と不開示事由を定める法律があって初めて行使できます。さらに進んで、マス・メディアに対して紙面や電波の利用を求めるアクセス権が主張されますが、判例はこれを憲法から直接導くことを認めていません。アクセス権の主張は、一般国民が情報の受け手にとどまり、メディアと対等に意見を表明する場がないという前提に立っています。インターネットの普及で誰もが発信者になれるという事情は、その前提を崩す方向に働くので、アクセス権を支える理由にはなりません。
- 自由権としての面情報の受領や閲読を公権力に妨げられない自由。21条1項から直接導かれる
- 請求権としての面政府情報の公開を求める権利。情報公開法など法律による具体化が必要
- アクセス権メディアに反論文の掲載などを求める権利。判例は法律なしには認めない
反論文の掲載請求は、具体的な法律がなければ認められません
最判昭和62年4月24日(サンケイ新聞事件)は、政党が新聞の意見広告で名誉を傷つけられたとして無料の反論文掲載を求めた事案で、まず私人相互の関係では憲法21条の規定から直接に反論文掲載請求権が生ずるものではないとしました。次に、民法723条の名誉回復処分は名誉毀損による不法行為の成立を前提として初めて認められるもので、その前提なしに条理や人格権を根拠に反論文の掲載を求める権利を導くことはできないとしました。そのうえで、反論権の制度は批判的記事、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載をちゅうちょさせ、表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれがあるので、具体的な成文法がないのに反論文掲載請求権をたやすく認めることはできないと述べました。判決は、不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論としており、その救済は損害賠償や名誉回復処分によるのであって、反論文の掲載を強制する筋ではありません。政党間の批判についても、反論文掲載を請求する権利は認められません。政党間の批判や論評が公共性の極めて強い事項であることは、かえって批判の自由を広く保障すべき理由になり、反論文の掲載を義務づける根拠にはなりません。
著作者は公立図書館に購入を求められませんが、思想を理由とする廃棄は違法になります
最判平成17年7月14日(公立図書館の蔵書と著作者の表現の自由)は、公立図書館の職員が特定の著作者の図書を独断で廃棄した事案です。判決は、公立図書館は住民に対して思想、意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場であり、閲覧に供された図書の著作者にとっては、その思想、意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるとしました。そして、著作者が著作物によってその思想、意見等を公衆に伝達する利益は法的保護に値する人格的利益であり、職員が閲覧に供されている図書を独断的な評価や個人的な好みによって不公正に取り扱ったときは、この人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法になるとしました。もっとも判決は、著作者が公立図書館に自らの著作物の購入や閲覧への提供を求めることまでは認めていません。他方、著作者の思想や信条を理由に閲覧中の図書を廃棄することは、独断的な評価による不公正な取扱いそのものですから、国家賠償法上違法となります。「ある著作者の著作物が公立図書館において閲覧に供されている場合には、当該著作者が当該著作物によってその思想、意見等を公衆に伝達する利益は、法的保護に値する人格的利益とはいえない」という肢(R4 問1 ウ)は誤りです。伝達の機会が完全に奪われたわけではないという理由は、判決が問題にした人格的利益の侵害を否定する理由になりません。提供を求める請求は認めませんが、いったん提供された状態を不公正に壊すことは許さないという組み立てになっており、請求権の面と自由権の面の線引きがよく表れています。

放送の訂正放送は公法上の義務であり、視聴者の反論権ではありません
放送法は、真実でない事項の放送により権利の侵害を受けた本人等から一定期間内に請求があったときは、放送事業者が遅滞なく調査し、真実でないことが判明したときに訂正又は取消しの放送をしなければならないと定めています。最判平成16年11月25日は、この規定は放送内容の真実性の保障及び他からの干渉を排除することによる表現の自由の確保の観点から、放送事業者に対し自律的に訂正放送等を行うことを国民全体に対する公法上の義務として定めたものであって、被害者に訂正放送等を求める私法上の請求権を付与する趣旨ではないとしました。サンケイ新聞事件も、放送事業者は限られた電波の使用の免許を受けた公的な性格をもつ者であり、訂正放送は権利侵害があったことと放送事項が真実でないことが判明した場合に限られるので、その要件、内容等において反論権の制度とは著しく異なるとしています。放送に固有の規律が置かれるのは、電波が有限であること、家庭に直接入り込む影響力が大きいこと、番組編集の自律を守る必要があることによるもので、印刷媒体と同じ扱いにはなりません。

受信契約の締結強制は、情報摂取の自由の制限として厳格に審査されるものではありません
最大判平成29年12月6日(NHK受信料制度の合憲性)は、受信設備を設置した者に受信契約の締結を義務づける放送法の規定について、公共放送と民間放送の二本立て体制を採り、公共放送の財政的基盤を国家機関からの影響が及ばない形で受信設備設置者に広く公平に負担させるという目的に合理性があるとし、合憲としました。国民の知る権利を実現するためにどのような放送制度を採用するかは立法裁量の問題であり、裁量の枠内で選ばれた制度とそれを支える財政の仕組みについて、裁判所の審査は緩やかになります。放送制度の採用を立法裁量の問題とみる考え方は、審査を緩める方向に働きます。放送は電波の有限性や社会的影響力から特別の規律に服してきた領域であり、新聞と同じ審査密度で扱われるわけではありません。
閲読の自由の制限には、放置できない障害が生ずる相当の蓋然性が要ります
受け手の自由が国家の施設内で制限される典型が、被収容者の新聞紙や図書の閲読です。最大判昭和58年6月22日(よど号ハイジャック記事抹消事件)は、新聞紙、図書等の閲読の自由が、思想及び良心の自由を定めた憲法19条や表現の自由を保障した憲法21条の規定の趣旨、目的から派生原理として当然に導かれ、憲法上保障されるとしました。もっとも未決勾留は逃亡と罪証隠滅の防止を目的とする身体の拘束ですから、拘禁関係に伴う合理的な制約は免れません。判決は、制限が許されるためには、規律及び秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、被拘禁者の性向や行状、施設内の管理や保安の状況、当該新聞紙や図書等の内容その他の具体的事情のもとで、閲読を許すことにより施設内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められることが必要であり、その場合でも制限の程度は障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきだとしました。

最判昭和62年4月24日(サンケイ新聞事件)新聞が現在及び将来にわたって国民に対し多大な影響力を有する媒体であることを考えると、不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論として、反論権の制度は、民主主義社会において極めて重要な意味をもつ新聞等の表現の自由に対し重大な影響を及ぼすものであって、具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しい上告人らの反論文掲載請求権を認めることはできない。
試験ではこう問われる
- 知る権利のうち情報の受領を妨げられない自由の面は21条1項から導かれるが、情報の公開を求める請求権の面は法律による具体化を要する
- 反論文掲載請求権は、具体的な成文法がなければ認められない(最判昭和62年4月24日)
- 公立図書館で閲覧に供された図書の著作者が思想、意見等を公衆に伝達する利益は法的保護に値する人格的利益で、職員による不公正な廃棄は国家賠償法上違法となる(最判平成17年7月14日。R4 問1 ウ ×)
- 放送法の訂正放送は放送事業者の公法上の義務で、被害者に私法上の請求権を与えるものではない(最判平成16年11月25日)
- 被拘禁者の新聞紙・図書等の閲読の制限には、放置できない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が必要である(最大判昭和58年6月22日)

