内容規制と内容中立規制ないようきせいとないようちゅうりつきせい
内容規制とは、表現が何を言っているかに着目してこれを制限する規制で、内容中立規制とは、表現の内容にかかわりなく、いつ、どこで、どのような方法で表現するかに着目する規制です。内容規制には厳格な審査、内容中立規制にはより緩やかな審査が妥当するとして両者を分ける考え方を二分論といいます。
政党の演説会を知らせるポスターを街路樹の支柱に針金でくくりつけたところ、屋外広告物条例違反で処罰されたとします。条例はポスターの中身を見ているのではなく、街の美観と通行人の安全のために、掲出の場所と方法を誰にでも一律に制限しています。表現の内容を狙う規制は、政府が気に入らない意見を排除する危険が大きいので厳格に審査すべきですが、場所や方法だけの規制なら、別の場所や方法で同じ意見を伝える道が残ります。この違いで審査の厳しさを変える考え方が二分論です。

二分論は、恣意的な表現抑圧の危険の違いを根拠にしています
内容規制は、表現が何を言っているかに着目して制限するもので、政府が気に入らない意見を市場から排除する危険が大きいため、厳格な審査が妥当するとされます。これに対し内容中立規制は、いつ、どこで、どのような方法で表現するかに着目するもので、他の伝達経路が残る分だけ表現の総量への打撃が小さく、緩やかな審査でよいとされます。「表現の自由に対する規制について,表現の内容に着目した内容規制には,厳格な審査基準が妥当し,表現の時・場所・方法等の規制に関わる内容中立的規制の場合には,より緩やかな審査基準が妥当する」という定式が二分論の帰結です。二分論に対しては、審査基準の枠組みの設定の仕方が図式的になり過ぎており、表現の時・場所・方法等の規制の危険性・問題性を軽視しているという批判があります。時・場所・方法の規制によって実際上特定の内容を持つ表現だけが規制される場合や、表現者にとって特定の時・場所・方法で表現することが内容と同程度に重要な場合があることも、批判の理由として挙げられます。時・場所・方法の一律の規制は規制者による恣意的な表現抑圧の危険が相対的に低いという考え方は、二分論がよりどころにしている前提です。ビラ配布や立て看板のように、費用をかけずに主張を伝える手段が封じられると、資力のない者ほど発信の機会を失います。形式的な中立性の裏で実質的な不平等が生じる点も、緩やかな審査への疑問として挙げられます。
- 内容規制表現が何を言っているかに着目した規制。特定の意見を排除する危険が大きいので厳格な審査
- 内容中立規制時・場所・方法に着目した規制。他の伝達経路が残るのでより緩やかな審査
- より制限的でない他の選びうる手段同じ目的を達成できるより穏やかな手段があれば、その規制は必要最小限とはいえない
- 営利的表現広告など。保障は受けるが、自己統治の価値に乏しく真実性の検証が容易なので審査密度は下がる

判例は二分論ではなく、比較衡量や合理的関連性の枠組みで判断してきました
最高裁は、内容中立規制という言葉を用いて審査密度を明示的に振り分けてはいません。屋外広告物条例による立て看板の規制について、最大判昭和43年12月18日(大阪市屋外広告物条例事件)は、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下において都市の美観風致を維持することは公共の福祉を保持する所以であるとし、広告物の表示の場所や方法等の規制は公共の福祉のため表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限であるとして合憲としました。最判昭和62年3月3日(大分県屋外広告物条例事件)は、街路樹2本の支柱に政党の演説会開催を告知するプラカード式ポスターを針金でくくりつけた事案で、同じ枠組みにより処罰を合憲としました。表示物が政治的表現であることは、法廷意見の結論を変えていません。個別の広告物ごとに美観風致の侵害の程度と表現の価値とを比較衡量するのは、大分県屋外広告物条例事件の補足意見に現れた考え方であって、法廷意見の採用した枠組みではありません。
ビラ配布の事案は、表現内容ではなく立入り行為の処罰として処理されます
最判平成20年4月11日(立川反戦ビラ事件)と最判平成21年11月30日(葛飾政党ビラ配布事件)は、政治的意見を記載したビラの配布自体は表現の自由の行使であるとしつつ、問われているのは表現そのものを処罰することの憲法適合性ではなく、ビラ配布のために管理権者の意思に反して立ち入ったことを処罰することの憲法適合性だと整理しました。立ち入った場所は一般に人が自由に出入りできる場所ではなく、そこに管理権者の意思に反して立ち入ることは、管理権を侵害するだけでなく、そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するので、刑法130条前段の罪に問うことは憲法21条1項に違反しないとしました。「公務員及びその家族が私的生活を営む場所であり一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない集合住宅の共用部分及び敷地に管理権者の意思に反して立ち入ることは、それが政治的意見を記載したビラの配布という表現の自由の行使のためであっても許されず、当該立入り行為を刑法上の罪に問うことは、憲法第21条第1項に違反するものではない」という肢(R6 問1 エ)は正しいです。葛飾政党ビラ配布事件判決も、立川反戦ビラ事件の枠組みを踏襲し、処罰を合憲としました。私鉄の駅構内についても、最判昭和59年12月18日(吉祥寺駅構内ビラ配布事件)は、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは許されないとして、駅係員の許諾なくビラ配布と拡声器による演説を行い、退去要求を無視して約20分間滞留した行為を鉄道営業法と不退去罪で処罰しても憲法21条1項に違反しないとしました。

営利的表現も保障の対象ですが、審査密度は下がります
広告のような営利的表現も表現の自由の保障を受けますが、判例は規制に寛容です。最大判昭和36年2月15日(あん摩師等法広告制限事件)は、きゅうの適応症を記載したビラを配布した行為について、適応症の広告を無制限に許すと患者を吸引しようとするあまり虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わし、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるおそれがあるとし、このような弊害を未然に防止するため一定事項以外の広告を禁止することは、国民の保健衛生上の見地から公共の福祉を維持するためやむを得ない措置であって憲法21条に違反しないとしました。判例は、虚偽誇大な広告だけでなく、真実で正当な適応症の広告まで禁止することを認めています。真実、正当な広告まで禁止することは許されないとするのは、少数意見の考え方です。営利的表現は自己統治の価値に乏しく、真実性の検証が容易で萎縮も生じにくいことが、緩やかな審査の理由として挙げられます。
犯罪のせん動も表現ですが、判例は害悪の切迫性を要件とせずに規制を認めています
犯罪や違法行為をあおる表現も表現活動としての性質を持ちますが、判例はこれを広く規制の対象としています。最判平成2年9月28日(破壊活動防止法のせん動罪と表現の自由)は、せん動が表現活動としての性質を有することを認めたうえで、表現活動といえども絶対無制限に許容されるものではなく、せん動は公共の安全を脅かす重大犯罪を引き起こす可能性のある社会的に危険な行為であるから、公共の福祉に反し、表現の自由の保護を受けるに値しないものとして制限を受けるのはやむを得ないとしました。判例は、せん動という表現類型そのものを、その内包する危険性のゆえに保護に値しないと評価したのであって、具体的事情の下で害悪発生の蓋然性が高く、その発生が差し迫っていることを要件としたわけではありません。同判決は、せん動罪が政治思想を処罰するものではないという理由づけも採っています。判例は、せん動罪は外形に現れた客観的な行為を処罰するもので、行為の基礎となった思想、信条を処罰するものではないから、19条違反の主張は前提を欠くとしました。政治目的は行為の主観的要件として構成要件に取り込まれているにすぎず、内心の思想そのものが可罰性の根拠とされているわけではありません。言論への規制であっても、内心の処罰ではないという切り口で合憲性が支えられる場面があります。

最判平成20年4月11日(立川反戦ビラ事件)被告人らによって立川宿舎の敷地等に立ち入った行為が刑法130条前段に該当するとして被告人らを処罰することは、憲法21条1項に違反するものではない。本件では、表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく、表現の手段すなわちビラの配布のために『人の看守する邸宅』に管理権者の意思に反して立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われている。
試験ではこう問われる
- 公務員宿舎の共用部分等に管理権者の意思に反して立ち入ったビラ配布を刑法上の罪に問うても21条1項に違反しない(最判平成20年4月11日。R6 問1 エ ○)
- 屋外広告物条例による表示の場所・方法の規制は、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限で、政党の演説会の告知ポスターにも適用できる(最大判昭和43年12月18日、最判昭和62年3月3日)
- 駅管理者の許諾なくビラ配布等をし、退去要求後も滞留した行為を不退去罪等で処罰しても21条1項に違反しない(最判昭和59年12月18日)
- 適応症の広告の禁止は、真実・正当な広告に及んでも21条に違反しない(最大判昭和36年2月15日)
- せん動罪は外形に現れた客観的な行為を処罰するもので、思想・信条を処罰するものではない(最判平成2年9月28日)

