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教育を受ける権利と教育権の所在(26条)きょういくけんのしょざい

憲法 第8章 社会権 過去問で7肢

教育を受ける権利とは、すべて国民がその能力に応じてひとしく教育を受ける権利(憲法26条1項)で、その背後には、自ら学習することのできない子どもが教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する学習権があります。教育権の所在とは、この権利を実現する教育の内容を国が決めるのか国民が決めるのかという問題で、判例は国家教育権説・国民教育権説のいずれも極端として退け、国は必要かつ相当と認められる範囲で教育内容を決定する権能をもつとしました。

小学校で全国一斉の学力テストが行われることになり、ある教師が「子どもに何を教えるかを決めるのは現場の教師で、国が口を出すのはおかしい」と実施を妨げたとします。逆に国の側は「教育の中身は法律で決めるのだから、国が全部決めてよい」と言います。憲法26条は、子どもが人格を完成させるために学ぶ権利をもっていることを出発点にしているので、どちらの言い分もそのままでは通りません。子どもには自分で学ぶ力がまだないため、親も教師も国も、子どもの学習権を満たす責務を分け合って負うと考えるからです。

小学校の教室の場面。先生が裁判官役(札「裁判所」)で教室の中央に立ち、左に「全国学力テスト」と書かれた答案の束を抱えた役所の男性(札「国」)、右にチョークを持った男性教師(札「教師」)が向かい合っている。国の男性の吹き出し「教育の中身は法律

教育を受ける権利の背後には、子どもが大人一般に対してもつ学習権があります

教育を受ける権利は、社会権として国に教育制度と教育条件の整備を求める権利ですが、その中心にあるのは子どもの学習権です。最大判昭和51年5月21日(旭川学力テスト事件)は、判旨の冒頭で、26条の規定の背後には、国民各自が一個の人間として、また一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、自ら学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するという観念が存在すると述べました。学習権は第一次的には親をはじめとする大人一般に向けられた権利で、国に対する権利だけではありません。この学習権が、後の教育権の所在の判断で、国の介入を子ども自身の利益から限界づける根拠になります。

国家教育権説と国民教育権説は、いずれも極端として退けられました

教育の内容を誰が決めるかについては、国民全体の教育意思は議会制民主主義のもとで国会の法律制定を通じて具体化されるから国が決めるとする国家教育権説と、子どもの教育は親を中心とする国民全体の責務であって国は条件整備に限られ、内容は教育専門家である教師が決めるとする国民教育権説が対立していました。旭川学力テスト事件は、子どもの教育が専ら子どもの利益のために教育を与える者の責務として行われるべきだということからは、教育の内容と方法を誰がどう決めるかという問題への一定の結論は当然には導かれないと述べ、二つの見解はいずれも極端かつ一方的で全面的には採用できないとしました。教師が教育専門家としての立場から教育の内容と方法を決定し遂行すべきだという結論は、国民教育権説を全面的に採るもので、判決の立場ではありません。教育行政機関は法律の授権に基づいて公教育における教育の内容及び方法について決定権能を有するという国家教育権説の根拠としては、国民全体の教育意思は憲法の採用する議会制民主主義の下では国会の法律制定を通じて具体化されるべきものだという説明が成り立ちます。法律の授権に基づく限り教育行政機関が広く決定権限をもつという結論は、この前提から導かれるからです。

  • 国家教育権説国民全体の教育意思は議会制民主主義のもとで国の立法に反映されるから、教育内容の決定権は国にある
  • 国民教育権説子どもの教育は親を中心とする国民全体の責務であり、国は条件整備に限られ内容には介入できない
  • 判例の立場いずれも極端であって全面的に採用できない。国は必要かつ相当と認められる範囲で決定権能をもつ
学校の黒板の前の場面。先生(札「先生」)が黒板を指している。黒板の左端に「国家教育権説:国民全体の教育意思は国会の法律で具体化 → 国が決める」、右端に「国民教育権説:教育は親を中心とする国民全体の責務 → 教師が決める」と書かれ、両方に斜

国は必要かつ相当と認められる範囲で教育内容を決定できますが、一方的な観念を植え付ける介入は許されません

判決は、親の教育の自由、私学教育の自由、教師の一定の範囲の教授の自由が認められる領域を除き、国は国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施し得る者として、子ども自身の利益の擁護のため、また子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において教育内容を決定する権能をもつとしました。同時に限界もあります。判決は、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入は許されないとし、誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を施すことを強制することは26条、13条の規定上からも許されないと述べました。この禁止は国家的介入一般を否定するものではなく、子どもの人格の独立した成長を妨げる性質の介入を禁じるものです。親の教育の自由については、親は子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に最も深い関心をもち配慮をすべき立場にある者として、子どもの教育に対する一定の支配権をもち、その自由は主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれると述べています。「親は、子の将来に関して最も深い関心を持ち、かつ、配慮をすべき立場にある者として、憲法上、子の教育の自由を有する」という肢(R6 問2 ウ)は正しいです。判決は、学校選択の自由も親の教育の自由が現れる場面として挙げています。

普通教育の教師にも一定の範囲で教授の自由はありますが、完全な裁量ではありません

判決は、23条の学問の自由は一定の範囲における教授の自由を含み、普通教育の教師にも、子どもの教育が教師と子どもとの直接の人格的接触を通じてその個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らして、一定の範囲における教授の自由が保障されるとしました。しかし続けて、普通教育では児童生徒に教授内容を批判する能力がなく教師が強い影響力・支配力をもつこと、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等を図るうえからも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があることを理由に、普通教育の教師に完全な教授の自由を認めることは到底許されないと明言しています。「普通教育における教師には、大学教育における場合に認められるのと同程度の教授の自由が認められる」という肢(R6 問2 ア)は誤りです。教授の自由は本来23条の学問の自由の一内容ですが、普通教育の場ではその沿革も事情も異なります。普通教育の教師が自らの判断で教育内容を決定でき、国の介入は一切許されない、ということにもなりません。教師に一定の範囲の教授の自由を認めることと、国の介入を一切許さないこととは別だからです。教師の裁量の限界を具体的に示した判例もあります。最判平成2年1月18日(伝習館高校事件)は、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量にもおのずから制約があるとし、所定の教科書を自分の考えと違うという立場から使用しなかったことや考査の不実施と成績の一律評価は、その裁量を前提としてもなお明らかにその範囲を逸脱して学校教育法の規定や学習指導要領の定めに明白に違反するとして、懲戒免職処分を是認しました。学習指導要領に法規としての性質を認める読み方です。

高校の教室の場面。先生が裁判官役(札「裁判所」)で教室の後ろに立ち、教壇には男性教師(札「高校教師」)が「教科書」と書かれた本を机の脇に閉じたまま置き、「資料集」と書かれたプリントを配っている。黒板に「成績 全員一律」と書かれている。教師の

義務教育の無償は授業料の不徴収を意味し、教科書代までは含みません

26条2項後段の無償の範囲については判例があります。最大判昭和39年2月26日(教科書費国庫負担請求事件)は、無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当であり、授業料のほかに教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものとは解せないとしました。「憲法第 26 条第 2 項後段に規定する「義務教育」の無償の範囲には、授業料だけでなく、教科書を購入する費用を無償とすることも含まれる」という肢(R5 問1 オ)は誤りです。憲法が求める無償は授業料に限られ、教科書代は含まれないからです。現在の教科書の無償配布は、憲法上の要請ではなく法律による政策です。無償の範囲を授業料と解する見解の根拠としては、義務教育は単なる国家的要請ではなく、親が本来有している子女を教育すべき義務を全うさせようとする趣旨によるものだという説明が成り立ちます。同判決も、憲法が保護者に子女を就学させる義務を課しているのは国家的要請だけによるものではなく、子女の人格の完成に必要なものとして親の責務を全うさせる趣旨でもあるから、義務教育に要する一切の費用を当然に国が負担しなければならないとはいえないと述べています。学習指導要領や教科書検定の仕組みそのものは教育制度で扱います。

小学校の入学受付の場面。先生が裁判官役(札「裁判所」)で受付机の横に立ち、机の上に「授業料」と書かれた札に大きな×印、その隣に「教科書」「学用品」「給食費」と書かれた札が並んでいる。机の前に子どもの手を引いた父親(札「保護者」)が立ち、吹き
最大判昭和51年5月21日(旭川学力テスト事件)

国民各自は、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有する。

試験ではこう問われる

  1. 子どもは、学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有する(最大判昭和51年5月21日・旭川学力テスト事件)
  2. 国家教育権説・国民教育権説はいずれも極端かつ一方的で全面的には採用できず、国は必要かつ相当と認められる範囲で教育内容を決定する権能をもつ(旭川学力テスト事件)
  3. 親は憲法上子の教育の自由を有し、その自由は主として家庭教育等の学校外の教育や学校選択の自由に現れる(旭川学力テスト事件。R6 問2 ウ ○)
  4. 普通教育の教師の教授の自由は一定の範囲にとどまり、大学教育と同程度の教授の自由は認められない(旭川学力テスト事件。R6 問2 ア ×)
  5. 所定の教科書を使わない授業や一律の成績評価は、高等学校の教師の裁量の範囲を逸脱する(最判平成2年1月18日・伝習館高校事件)
  6. 義務教育の無償は授業料の不徴収を意味し、教科書代は含まない(最大判昭和39年2月26日。R5 問1 オ ×)

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