不作為の因果関係ふさくいのいんがかんけい
不作為の因果関係とは、期待された作為をしていれば結果が発生しなかったであろうという、不作為と結果との間の関係です。判例は、期待された作為をしていれば結果を防げたことが、合理的な疑いを超える程度に確実であったことを求めます。
ナイフで刺して人を死なせた場合は、刺したから死んだという関係が目に見えます。これに対し、倒れた人を前にして救急車を呼ばなかった場合は、何もしていないので、呼ばなかったから死んだのかどうかが直接には見えません。そこで、もし呼んでいたら助かったのかを考えます。呼んでも助からなかったのなら、死亡の結果をその人のせいにはできないからです。そして、どの程度助かる見込みがあれば「呼ばなかったから死んだ」といえるのかが問題になります。

不作為の因果関係は、期待された作為をしていれば結果が発生しなかったといえるかで判断します
かつては、不作為は「無」であり、無から有は生じないのだから、不作為と結果の間に因果関係は認められないという批判がありました。しかし、刑法上の不作為は何もしないことではなく、期待された一定の作為をしないことをいいます。そうすると、その作為がされていた場合を想定して、結果が避けられたかを問うことができます。不作為は「無」であるという批判に対しては、期待された作為を行っていたら結果の発生が避けられたであろうという場合には因果関係が認められると反論できます。作為犯の条件関係が「その行為がなければ結果は発生しなかった」という関係であるのに対し、不作為犯では「期待された作為があれば結果は発生しなかった」という仮定の形で判断します。不作為と結果との間に刑法上の因果関係を認めるには、不作為の後に結果が発生したことでは足りず、期待される作為をしていれば結果を避け得たことが合理的な疑いを超える程度に確実であったことが必要です。不作為の後に結果が起きたというだけでは、不作為が結果の原因であったことにならないからです。
期待された作為をしていれば結果を防げたことが、合理的な疑いを超える程度に確実でなければなりません
最決平成元年12月15日(覚醒剤注射放置事件)は、ホテルの客室で少女に覚醒剤を注射した被告人が、錯乱状態に陥った少女を放置して立ち去り、少女が死亡した事案です。最高裁は、少女が錯乱状態に陥った時点で直ちに救急医療を要請していれば「十中八九同女の救命が可能であった」という認定を前提に、「同女の救命は合理的な疑いを超える程度に確実であったと認められる」として、放置した行為と死亡との間の因果関係を認め、保護責任者遺棄致死罪の成立を肯定しました。不真正不作為犯の因果関係が認められるには、期待された作為をしていれば結果が発生しなかったことが、合理的な疑いを超える程度に確実であったことが必要です。この事案では、少女を放置した行為と死亡との間の因果関係が認められ、保護責任者遺棄等致死罪が成立します。救急医療を要請していれば救命が確実であったと認定されているからです。求められるのは刑事裁判で有罪を認定するのに必要な程度の確実性であり、百パーセント助かったことまでは要りません。

救命の可能性があったというだけでは因果関係は認められず、結果を除いた罪にとどまります
結果を防げた可能性があるにすぎない場合には、因果関係は認められません。覚醒剤を注射した相手を放置した事例でも、救命できた可能性が僅かにあるだけでは、放置した行為と死亡との間の因果関係は認められません。可能性だけで結果を帰責すると、救助しても助からなかったかもしれない死亡についてまで責任を負わせることになるからです。この場合、死亡の結果については責任を問えませんが、何も成立しないわけではありません。保護責任者が生存に必要な保護をしなかったこと自体は保護責任者遺棄罪(218条)に当たり、殺意があった場合には殺人未遂罪が成立する余地があります。なお、救助に出ることができたかという作為可能性は実行行為の要件であり、救助していれば助かったかという結果回避可能性は因果関係の問題ですから、二つは区別されます。
- 救命が合理的な疑いを超える程度に確実因果関係あり。殺意がなければ保護責任者遺棄致死罪、殺意があれば不作為による殺人罪
- 救命の可能性があるにとどまる因果関係なし。保護責任者遺棄罪にとどまり、殺意があれば殺人未遂罪の余地がある
期待された作為をしていれば防げた場合でも、放置された危険が結果に現実化したことが必要です
不作為の場合にも、期待された作為があれば結果が発生しなかったという関係に加えて、危険の現実化が認められることが必要です。川で溺れている人を救助すべき者が放置し、その人が溺死した場合は、解消されるべきであった溺死の危険がそのまま結果に現実化しています。これに対し、放置している間にその人が第三者に射殺された場合は、直ちに救助していれば射殺されなかったといえるとしても、溺死の危険が射殺という結果に現実化したとはいえないので、因果関係は否定されます。作為犯で介在事情があるときと同じ考え方を、解消すべきであった危険について当てはめることになります。
不作為による幇助では、作為に出ることで確実に正犯の実行を阻止できたという関係までは要りません
正犯の犯行を止めなかった者が幇助犯に問われる場面では、求められる関係が変わります。幇助は正犯の実行を容易にすれば足りるので、止めていれば確実に防げたことまでは必要ありません。「不作為により正犯の実行行為を容易にさせた場合には、幇助犯は成立しない」という肢(R5 問25 4)は誤りです。札幌高判平成12年3月16日は、内縁の夫が子に暴行を加えるのを制止しなかった母親について、「犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらず、これを放置した」という要件は不作為による幇助の成立には不必要であるとしました。そのうえで、正犯者の犯罪を防止しなければならない作為義務のある者が、一定の作為によって正犯者の犯罪を防止することが可能であるのに、そのことを認識しながらその作為をせず、これによって正犯者の犯罪の実行を容易にした場合に成立するとして、傷害致死幇助罪を認めています。単独の不作為犯では結果を防げたことの確実性が求められ、不作為による幇助では実行を容易にしたことで足りるという違いは、正犯と幇助犯の因果性の違いから生じます。

最決平成元年12月15日(覚醒剤注射放置事件)十中八九同女の救命が可能であったというのである。そうすると、同女の救命は合理的な疑いを超える程度に確実であったと認められる
刑法 第219条(遺棄等致死傷)
前二条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。
試験ではこう問われる
- 不作為の因果関係は、期待された作為をしていれば結果が発生しなかったことが合理的な疑いを超える程度に確実であったことを要する(最決平成元年12月15日)
- 不作為の後に結果が発生したというだけでは、因果関係は認められない
- 救命の可能性があるにとどまるときは、保護責任者遺棄致死罪は成立せず、保護責任者遺棄罪にとどまる
- 期待された作為をしていれば防げた場合でも、放置された危険が結果に現実化していなければ因果関係は否定される
- 不作為による幇助には、確実に正犯の実行を阻止できたという関係は要らない(札幌高判平成12年3月16日)
- 不作為により正犯の実行行為を容易にさせた場合にも、幇助犯は成立し得る(R5 問25 4 ×)

